子どもにとって影響力のある親になるための方法(ココロを動かす)

普通という言葉に論理的根拠がない

先日、娘が学校から帰宅した時のことでした。

「ママ、学校はね鉛筆削りを持っていってはいけないの。でもね、私は意味がわからないから持っていったらね、先生が『だめですよ』って言ったから『どうしてだめなんですか?』って聞いたの。そしたらね『普通、鉛筆って家で削ってくるでしょ』って言われたんだ」

娘は、全く納得がいってない様子でした。

それもそうです。

「普通は〜」という言葉にはなんの根拠もないので、鉛筆削りを持って行ってはいけない理由になりません。

普通って何でしょうか?

普通=多数決(その人がずっと植え付けられてきた自分の意志ではない統計)

と私は定義する。多数決が大好きな国、日本。

しかし100人が正義だと言った事柄も、実は100人が間違っているかもしれませんよね。

子どもに「普通」という言葉をかけると、どういった事が起こるのかというと「個性」と「思考」を奪います。

普通が正しいものだと認識した結果、自分が違うと思っても普通という多くの意見に流されます。

普通が正しいと教えられた子どもは、考えることをやめてしまいます。

「普通が正しいなら、多くの人の意見に合わせとけばいいのでしょ?」って。

それにもかかわらず、大人たちはこう言うのです。

「自分で考え、自分の意見を持ち、発言しなさい」

この矛盾した2つの発言。

これを阻止するには、親がしっかりしなければなりません。

私は娘にこう言いました。

「普通なんていうのは多数決に過ぎないのだから、従うことはないのだけれど、それによってあなたが学校生活をしづらくなったら心配だから家で鉛筆を削ってはどうかな?」

娘は納得して、次の日から鉛筆は家で削るようになったのです。

例えば、学校で鉛筆削りがだめなルールの理由として考えられるのが「鉛筆削りが、万が一割れたりしたら怪我をしてしまう危険があるから」だとしたら納得もできます。

子どもだって、大人の矛盾に気がつくのです。

ぐしゃぐしゃ!って丸めて、めんどくさそうに答えた回答で心は動きません。

「ルールだから」も同じですが、子どもが知りたいのは「そのルールを守る理由」なのです。

ルールができたからには理由があるはずです。

わからないのであればぐしゃぐしゃ!ってしないで「あとでまた話すから待っていて」とかあると思います。

子どもに「自分で考え、行動でき、個性ある子」に育ってほしいのなら

「普通は〜」だとか「ルールだから」という言葉は個性も思考も奪っていると考え、ちゃんとした理由を伝えることが必要です。

これは、夫婦間や恋人間でも同じことが言えるのですが「普通はみんなもっとこうしてくれるのに」という発言。

「普通+みんな」というのは、全く納得のできない言葉。普通の定義がわからない上に、みんなって誰?

言われた方にしたら「知らんがな」って話になるわけで、じゃあその普通してくれる人と付き合ったらいいんじゃないの?ってことになるのです。

自分の気持ちを理解してくれようともしない上に「普通」という多数決ワードを持ち込むことは破局すら生みかねません。

大人だって、人と違う発言や発想をした時に「普通」を正義の言葉として返されたら悲しいですよね。

普通ではない言い方で心を動かすほうが建設的。

普通が悪いと言っているのではなく、多数決によって決まった、何の理論もない普通というものが正しいという理屈は、個性を持っていればいるほどその人には通用しないのです。

理解を求めるのは大変なことかもしれませんが、論理的に説明できるということは自分自身も「それで本当にいいのか?」と今一度考えるいい機会になりますし、相手も納得できるものが生まれます。

もし論理的に意思を伝えられないのであれば

「普通は目を見て話してくれるでしょ?」普通という多数決で抑え込むような言葉ではなく

「私は目を見て話してほしい」という、相手と向き合い、理解を得られる言葉使いのほうが相手の心にはちゃんと響くものだと思います。

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