幸せの教科書【幸福度が高い人・低い人】「自分を愛せていますか?」

与える?奪う?

「与える」と「奪う」で、幸福度が違うってことをご存知ですか?

娘が、お友達に遊んでいて髪の毛を切られて帰宅したことがありました。

先生から連絡があり、娘はお友達がいじめでそうしたわけではないことと、お友達が落ち込んでいることで反省していると判断し「お母さんに怒られないように、お手紙書いてあげるから元気だしな」と言ったみたいなのです。

善悪を判断し、相手の気持ちに寄り添って自分の傷も消化し、愛のある対応をできることは当たり前のようでできない人が9割の世の中で、私は心から娘の思いやりを誇りに思いました。

やられた行為に目を向け、他者を批判したり搾取する人間は幸せにはなれない。

奪ったり計算した人間関係はいつか破綻するけど、相手のためを思い、自分を成長させながら貢献できると、その選択だけで幸せになれるんだと思います。

事実、娘はされたことなど気にもとめずに、その友人と仲良くしています。

私も、そのお子さんの親御さんと親しくしているし、加害者の親だって実は悩んでいるケースは多いのです。

もしも、なんの悪びれもない場合は親として戦うけど、反省している相手に攻撃するのはお互いにとって何も生まないんですよね。

子ども同士で折り合いがついているのなら、大人が口をだすべきことでもないのです。

体や心に大きな傷が残っていないのなら、許し合い、分かり合う事ができるようになるチャンスだと思います。

今、私の大切な人ってそういう人しかいません。

私がそういう人としか仲良くしないという選択をしているのだと思いますが、数は少なくても間違えていないと自信があります。

自分自身をしっかり持って、一緒にいてくれる人への思いやりを持っていたら、皆ハッピーなのではないでしょうか。

前にも公園で、「自分より小さな子が遊んでいて、順番が回ってこなくても優しく見守ってあげようね」と話していたことは間違いではなかったことが証明されました。

私が「順番でしょ!」って相手の親に言っていたら、心の狭い子に近づいたに違いないのです。

「得ることではなく、与えることでしか人は幸せになれない」ということを例えることが難しくて悩んでいたけど、こんなに最高の例え話が出来て幸せです!

愛してるぜうおおおぉ!

では具体的に与えることって何でしょう?

 

ギブアンドテイク多くの人が陥るつまずきとは

「こんなに私は家事育児をしているのに、旦那は何もしてくれないんです」

これは、ギブアンドテイクにおける一番目のつまずきです。

ギブ=したくもない家事育児

テイク=あるはずの同じ量の見返り

そこで質問。

旦那さんは家事育児を、強制的に「してくれ」と言ったのでしょうか?

「言ってないけど、私がやらなきゃ誰がやるのよ!」

ギブアンドテイクを間違えて捉えると、すれ違ってストレスも溜まってしまいます。

問題なのは

「与えたら、与え返してくれるのは当然でしょ?」

という気持ちがあるから「旦那は何もしてくれない」という気持ちになることなのですね。

この思考は、とても危険。

なぜなら、与えれば与えるほど同じ見返りがないと自分自身がイライラする。相手は求められることにうんざりした上に、あなたにしてもらっていることへの感謝を忘れてしまう。お互いの関係性は、破綻の一途をたどってしまうからなのです。

旦那さんが、仕事から帰るたびにイライラし「お前は何もしてくれない」と言ったとしたら「家事をしているのに・・・」という気持ちになりますか?

そして、旦那さんが仕事で生活費を稼いでくれることに、感謝する気持ちが持てなくなっていくのではないでしょうか。

そしてお互いに「俺の方が頑張ってる」「私の方が頑張ってる」とぶつかり合いになる。

子育てにおいても同じなのです。

「あなたのために、お母さん言ってあげてるのに、どうして言うこと聞かないの?」

もはやギブという名の支配欲

本当に、子どものためなのでしょうか?

子どもの立場からすれば、「相談に乗ってもらった覚えもないし、勝手に言われた挙句に言うことを聞けだなんて、人権侵害レベル」って思っているかもしれないですよね。

その後の子どもの思考は、

隠す。黙り込む。離れていく。

のどれか。または、全部の行動をとることにもなりかねないのです。

なぜなら「素直に話したって、どうせ親から否定されたりいうことを聞けと言われるに違いない」と思うからです。

同じ空間に生活している以上、ルールというものは必要。

何もしてくれない旦那さんに、腹を立てていても解決にはならないんですね。

 

 

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ギブアンドギブ 第二のつまずき

次に最近よく耳にするのが、ギブアンドギブです。

「与え続けていれば、見返りを求めず心地よく過ごせるはず」

ギブ=無限

テイク=不要

ということになるのですが

ここで、問題があります。

なんの承認もなく、どちらかが死ぬまで続くであろう人間関係において、マリア様でもない限りそんなことは不可能に近いんです。

たまに外で会う友人や、職場でなら可能でしょう。

そこには、時間制限や金銭が発生するのですから。

しかし、長時間自分の生活の一部であろう空間において、食べたものは散らかされ、ゲームばかりで見向きもせず、しかし腹は減ったと言ってくる。

そんな相手に、終始笑顔で365日24時間体制で見返りのない愛を捧げ続けろだと!!

愛にも蓄積量というものがあるのですね。

与え続ければ枯渇する。

いや、もうそれ以前に

食べた物くらい、下げる。

脱いだ服は、洗濯カゴへ。

出したものは、しまう。

それくらいのルールは、家庭で作るべきだと思います。

主婦はコンビニじゃない!!

与え続けて生きていくなんて、神以外無理!

という気持ちは、ルールを決める話し合いの時にはおさえて、冷静に話し合いをすることが大切なのではないでしょうか。

 

本当に幸せになれるギブアンドテイク

さあ、ついに最終章です。

3段階目ギブアンドテイク

戻ってきちゃった訳ではないのです。

さあ、頑張って作った夕ご飯

その食事を食べる家族を見て、こう思える思考。

「自分が作ったことにより、安心して今日も家族が食事をできてよかった」

ギブ=自発的に相手にしてあげたいと思えること

テイク=相手が苦労を離れて楽を得るのを見て喜びとすること

これが、本当のギブアンドテイクだと考えます。

料理を楽しめていますか?

家事って、毎日しなきゃいけないこと。

それを

家事って、毎日楽しく適当にすること。

にするのってダメなことなのでしょうか?

楽しそうに毎日私たちが家事をしていたら、相手も自発的になる可能性だってあります。

楽しくなさそうにしていること=嫌なこと

だけど

楽しそうにしていること=楽しいこと

そう、人間は思えるもの。楽しくすることで自発的にすることへとつながるのです。

大切なのは、自発的にすることです。

家事育児は、365日24時間!

そんなものは品切れだってあるんだし、コンビニ一人で24時間365日休まずやってる人なんかいないですよね。

「今日は、ご飯作りたくないので出前です!」

これの何がいけないのか!!

「今日は掃除機かけたくありません、誰か助けてください!」

そんなこと、明るく言われたら家族なんだもん手伝ってくれるときもあるし、1日2日掃除機かけなくたって困らないです!

真面目な人って、それでも「しなきゃ」って思ってしまいます。

そのため、ギブアンドギブの気持ちに戻ってしまい、「しなきゃ」が邪魔をして、「できたら素敵」の余裕がなくなってしまいます。

いつでも気持ちのいいギブアンドテイクができるような、「しなきゃ」の変換の仕方を考えていってはいかがでしょうか。

 

 

真面目だからこそ「〜しなきゃ」と追い詰めてしまう

「困っている人がいたら助けるべき」

「母親なんだから毎日、ご飯は作るべき」

「彼女なんだから彼氏を、いつでも癒やすべき」

こんな風に自分を追い詰める人は、少なくないように感じます。

そして「〜すべき」ことが自分にできないと「私は、だめな人間なんだ」と責めてしまう。

その結果、さらに追い詰めてある日、爆発してしまう。

「〜すべき」が出来ても、当たり前なので自分を褒めてあげることも出来ない。

これに当てはまるとしたら、がんばり屋さんの真面目さんです。

がんばり屋さんの真面目さんが、結果苦しむなんて「なんか、私って不公平?」なんて思うのは当然のことですよね。

そんなのは損です!

では、ここからハッピーになれる方法をご紹介しますね。

「〜だったらいいな」に変換してハッピー

真面目でがんばり屋さんは「〜しなくちゃ」「〜するべき」

という言葉で、自分を追い詰めていることに気が付いていないことが多いのです。

先程の例だと「困っている人がいたら助けるべき」「母親なんだから毎日、ご飯は作るべき」「彼女なんだから、彼氏をいつでも癒やすべき」から

「困っている人がいたら、助けられたらいいな」「毎日、ご飯作れたらいいな」「彼女として彼氏をいつでも癒せたらいいな

どうでしょう?

この変換の意味とは、「だったらいいな」ということは出来なくたっていいんだよ。

「出来たら幸せだな」

義務から希望に変換されたということになりますが、もう一つ例えると

義務というのは、「出来て当然。出来なかったらだめな人」の反面、希望というのは「こうなれたらいいけど、今日はできなかった。もここまで出来たから良かった」という違いもあります。

「義務」から「希望」に変換していくことで「今日、ここまで出来てよかったな」の笑顔と幸福に。

私は昔、娘を生んだ頃、家事育児ノイローゼになりました。

「母親なんだから、ちゃんとするべき」「妻なんだから、完璧に家事をこなすべき」と毎日、自分を追い詰めていたんです。

しかし、ある日その無理な楽しくない勝手な義務感で、自分も周りも窮屈にしていたことがわかりました。

なので、その日から唱えるように言い換えたんです。

「今日も御飯作るべき」から「ご飯作れたらいいな。ついでに美味しく出来たらいいな」

まずは、この言葉を2週間定着させてみてください。

そしたら最終段階へ行きましょう!

「ここまでできた自分は、よく頑張った」と褒める

 

食事で例えると「私、御飯作らないの!」と笑顔で話すお母さんが私の知り合いでいたのですが、「食事は作るべき」だった私は「なんて人なんだ。母親としてありえない」と思っていました。

正直、子どもが居るのに毎日、外食、コンビニはいかがなものかと思いますが、その人は「食事は作るべき」の私より幸せそうでした。

「なんで!?こんなに私は頑張ってるのに!」

そんな自分も嫌でした。

世の中ってよく見てみると、真面目に毎日こなしている人のほうが少ないことに気が付くんです。

「あ。私頑張りすぎてる」って気が付きました。

でも、頑張っちゃう自分はそういう性質なのですぐには変えられないし、がんばり屋さんって変える必要もないと思うんです。

でも辛いんですよね。がんばり屋さん。

どうしたらそんな自分から抜け出せる?

何が辛いんでしょう。

頑張ってるのに、不幸せな気持ちになっていること。

じゃないですか?

周りをよく見て「みんなこんなにやってないんだな。その中で今日ここまで出来た私って素晴らしい」

していない人を見下しているわけではなく、「人も自分も完璧じゃなくていいし、不完全でも頑張ってる自分を認めて楽しく生きていたほうがいいんだ」と、自分に理解させるためなのです。

頑張ってるんだから、その対価は自分を褒めることと、その分幸せに過ごすことではないですか?

だって不公平じゃないか!!!

「〜だったらいいな」と「ここまで出来た!今日の私ステキング!」で自分も周りもハッピーになってほしいです!

そうしていたら、本来のギブアンドテイクが笑顔で出来るのではないでしょか。

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