「人はなかなか変わらないor変えられない」のではなく「変わろうとしない」だけ

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「変わろうとしない」のは自分を変えたくない理由がある

みなさんこんにちは。

いつも座っている座椅子があるのですが、家には忍者がいるらしく、まきびしが引かれています。

それがあまりに頻繁なので、一体なんなのか注意深くそのまきびしを観察してみたら切りたての爪でした。

私の座椅子の上で爪を切っているのは誰なんだ!うおおおおおおおお!

そんなことはどうだっていい。

「人はなかなか変わらないor変えられない」とか「年齢を重ねれば重ねるほど変わらない」とか聞きますが、私の見解では「変わろうとしない」が正しい表現だと思います。

「過去」と「周りの人間」は変えられない。

しかし「未来」と「自分」だけは変えられる。

未来を変えるためには、今の自分を変えなくてはいけない時があります。

自分だけは死ぬ1日前まで変えられるのが真実だと思います。

そして、この原理を知っていて言葉では言えるけど実際に実行はできていないのがほとんどの人たちとも言えます。

それは、なぜなのかをもっと掘り下げて考えてみました。

なぜ人は「変わろうとしない」のか

変えようとしない大きな理由があるのですが

  1. 過去の自分を否定しなくてはならない。
  2. 今の自分が良くないと理解しているが、今の自分でいる方が自分にだけは都合がいい。
  3. 変わることでの「不安」より、今の現状への「不満」をとっている。

 

上記が大きな理由。1つずつ考えていきましょう。

【過去の自分を否定しなくてはならない】

【過去の自分への執着】

年齢を重ねれば重ねるほど自分を変えようとしない人が多いのは、それだけ過去の自分への執着があるからなのです。

その理由として、過去の自分の期間が長いほど否定する自分の人格も多くなるので、その否定に耐えられない事が変わろうとしない要因になります。

 

【指摘されたことを「否定された」と捉えている】

人に指摘された時に、その言葉に対して「自分を否定された」と怒るのか「自分のために言いたくもないことを身を挺して教えてくれた」と冷静に判断して受け取るのかで人としての成長度合いが決まると思います。

年齢を重ねるほどに、親身になって自分の良くない部分を指摘してくれる人は少なくなっていきます。

指摘してくれる人が現れた、その時こそ人として成長できる大きなチャンスなのです。

年下の人に指摘された時に「年下のくせに」と上下で人を判断している人も、残念だけど成長のチャンスを逃しています。

内面は年齢に関係ありません。

自分を変えることを否定として捉えるのではなく、過去の自分は次のスッテプへの通過点の自分であったと思えば、過去の自分への執着はなくなるのではないでしょうか。

【今の自分が良くないと理解しているが、今の自分でいる方が自分にだけは都合がいい】

例えば、

ギャンブルでお金を使ってしまい、借金をする癖がある人が「周りに迷惑をかけている」ことを理解しているのに止めないのは、病的な依存症でもない限り「ギャンブルをしていると楽しいから、変わる気がない」ということになります。

本当は、今の自分を変えなくてはならないことは理解しているのに、周りの人への「こんな自分から離れていかないし、困ったら助けてくれるよね」という甘えた気持ちを持っているからなのです。

今後、本当に今の「自分にだけ都合のいい生き方をして幸せに生きていくことが出来るのか」よく考えなくてはなりません。

自分を大切にしてくれている人を傷つけたり不安にさせて、自分だけが幸せになれるなんてことはないですよね。

このケースは、自己中心的な性格によるものです。

今の自分がなんとなくでも「良くない」と理解しているのは、周りに迷惑をかけていたり、そんな自分が人を傷つけてしまった事があると本当は理解していることが多いものでもあります。

それを認めたくないのは、自分にだけは都合が良いからです。

人に献上するのが当たり前であれば、自分にとっては都合が良くても大切な人のために良くない自分を変えるのが幸せになれる人が必ず持っている性質です。

 

【変わることでの「不安」より、今の現状への「不満」をとっている】

「不満」のある現状を続けるのか、変化することで「不安」を受け入れるのか。

ある例だと、ブラック企業の電気屋さんに努めている人が「就業時間が長い。立ちっぱなしで足も痛い」という不満をいつも口にしていても続けていました。

一方で同じ状況に耐えかねた人が、就職活動を初めて今の会社よりも就業時間も短く、立ちっぱなしでもない仕事を見つけます。そこには新しい場所でやっていけるのかという不安があるけど、不安というものは慣れていくものです。

前者の人は「不満に永遠に耐える選択」をしているけど、日に日に心身が病んでいくのは必然です。

不満というものは解決するか、なくならない限り蓄積し、いずれ爆発するようになっています。

不満をとっている限り、残念ながら未来は変わりません。

前者の方がその職場で爆発せずにやっていくにはどの道、上司や企業に対して不満を発言するという返歌をとらなくてはなりません。その際やはり変化による不安を選ぶ必要があります。

今の不満から離脱したいなら、変化による不安を受け入れるしかありません。

後者の人は、不満から離脱するために「不安という冒険」をとりました。

その結果、いい方向に行かないかもしれません。

冒険できる人は良くならなかった時に、次の冒険へ行ける姿勢があるので自分により良い環境を見つけるまで不安に耐えられる力を持っています。

私の見解では、永遠に続く不満と変わる確率の低い企業自体を変える選択より、良くなるかもしれない未来のために不安を受け入れ、過去を精算して新しい道へ踏み出す事のほうが建設的な方法だと思います。

忍耐や根性は我慢の限界を超えるまで続けるのは、心にも体にも良くないことですよね。

ここからは、「変わる」ことへの、不安の認識の間違いについて書いていきますね。

変わるということは、過去の自分の否定ではなく進化である

「過去に自分から新しい自分になる」ことに関して、マイナスイメージがあるから新しい自分になろうとしないというケースがあります。

視点を変えて、変化する自分を「過去から進化する自分」として考えるとワクワクしませんか?

大切にしていたバッグだって、時代の変化や経年劣化でいつかお別れしなくてはならない日が来ますよね。

しかし、お気に入りのバッグのデザイナーが健在であれば更に進化したバッグが出ているはずです。

それを購入するのに「古いバッグを否定している」だなんて意識を持つ方はいないのではないでしょうか?

前より、性能もデザインも進化したバッグのほうが欲しいと思うのは当然の感覚だと思います。

自分の内面もそうやってアップデートしていくことで、さらに素晴らしい自分へと変化していくのだと私は思いあます。