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自分勝手な指摘で起こる出来事
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ある女性が、私の元へカウンセリングにやってきました。
すっぴんで目はうつろ。長い髪は数日は洗っていないでしょう。服も気にしていない様子でした。
そんな彼女から、暗い声で出た言葉。
彼女はキャバ嬢でしたが、あることがきっかけで鬱になってしまったのです。
それは、彼女の指導担当のモラハラによるものでした。
出勤と同時にそれは始まる。
と元気に挨拶をする彼女に向かって、その担当の男性はこう返す。
整ったスーツに、神経質そうな細い体と鋭い目をしながら、挨拶もせず不機嫌そうに言ったそうです。
大きい声で他の従業員がいる中、言われ続ける日々が2年続いたそう。
彼女の精神がボロボロになり退職を願い出た時、その男性から驚きの発言が出ました。
嘲笑しながら彼が言った言葉は忘れもしないでしょう。
多くのモラハラ発言をする人たちの言い分はこうです。
- これくらいの言葉でくじけるような人間は、どこへ行ってもダメだ。
- 相手のことを思って言ってあげたのに、わからない方が悪い。(俺(私)の言うとおりにすればうまくいくのに)
- 人が良くなるためなら、嫌われ役でも買ってやる。
- 甘やかして良いことなど何もない。
- 人前で言う事も、叱ることも必要だ。
1つずつ、その正義の誤解を解いていきましょう。
これくらいの言葉でくじけるような人間は、どこへ行ってもダメだ
「これくらい」とは誰目線なのでしょう?
モラハラ側の意見です。
人のココロは、体の強さ同様に十人十色です。
その証拠に、生まれつき気管支が弱く気管支喘息の人も存在します。
その人達の前で
と言ってタバコを吸えば、呼吸困難で死んでしまうかもしれませんよね。
「弱いのがいけない」は、一方的な身勝手な発言。
ココロも同じく、強さが違います。
こう例えたらどうでしょう。
ある、男性がこう言いました。
その男性は薄毛でした。
と、言われたとしたら。
ね?ココロにも体も人それぞれ。
第一に、目的は相手の向上のためなら、指摘して心を折った方が悪いのです。
自分の当たり前を、人に押し付けてはいけません。
相手に合わせた段階をよく観察して、前向きに希望を持って向き合えるようにするのが指摘する側のマナーです。
【相手のことを思って言ってあげたのに、わからない方が悪い】
「相手のため」とは、どういったことでしょう?
それは、指摘している側の「良いこと」ではないでしょうか?
子どもが、漫画家になりたいと言っているのに「絵なんか描かないで、勉強しなさい」と言う親がいます。
その理由を聞くと「画家になんか、なれるわけがない。勉強して大学に行ったほうが、あの子のためになる」
本音は、子どものためではなく「自分の正しい未来を叶えたい」言い換えれば「子どもの将来の不安で悩みたくない」。
アイスクリーム屋さんに行って、チョコミントアイスが食べたいのに、店員が「絶対にストロベリーが美味しいからストロベリーにしますね!」と怒鳴ってきたらどうでしょう?
「いらん!」と、なるはずです。
それと、「相手のため」とは同じことなのです。
本来、相手のためとは「どうしたい?」と相手に聞いてから、始まる。
相手が望む未来のために支えることである。
自分が良いと思うことと、人が良いと思うことは必ず一致しないと認識しなくてはいけません。
【人が良くなるためなら、嫌われ役でも買ってやる】
嫌いな人の言うことを、誰が素直に聞くのでしょうか?
誰も聞きたくありません。
聞いているとしたら、力や支配による偽りで不本意な行動です。
人は、信頼と安心感がある人に心を開き、打ち明ける。
信頼しているからこそ、話を聞くのです。
とは、自分だけが自分の正義に酔っている証拠です。
相手にとっても、嫌われ役と言っている方にも良いことがありません。
忠告を聞いてほしい時は、信頼感と安心を先に相手に持ってもらう努力をしなくてはいけないのです。
正しいことが、正しいまま通じるわけではないのですね。
【甘やかして良いことなど何もない】
確かに、甘やかすだけでは良くありません。
甘やかしとは「何をしても許される」と歯止めが効かなくなりますよね。
しかし、厳しさだけでも良いことは何もないのです。
相手が命の危険や犯罪に走ったのであれば、声を荒げて止めるでしょう。
ここでも「あくまで、私(僕)がそんな姿を見たくないというわがままの元、今こうして話している」ことに変わりありません。
相手のためなどというのは、成り立たない言葉なのです。
「怖いから言うことを聞こう」に、意味はあるのでしょうか?
恐怖と、支配では本当の意味で受け入れることにはなりません。
【人前で言う事も、叱ることも必要だ】
あなたの周りにも、居るのではないでしょうか?
会社のみんなの前や、飲食店でお説教している人を。
その心理はこうです。
実際に周りの人に伝わっている情報はこうです。
迷惑しているのが、ご理解いただけると思います。
みんな、人の怒鳴り声やお説教なんか聞きたくないのです。
できれば、気持ちのいい空間で仕事や食事がしたい。
そして、人前でお説教されている方の心の中はこう。
何一つ響いてなんかいません。
お説教している人の言葉は何一つ入っていないのです。
これが、小さな子どもなら話は変わってきます。
飲食店や公共の場所で走り回ったり、騒いだら注意が必要でしょう。
その際にも、怒鳴ることは必要ありません。
冷静に伝えたらいいのです。
ここで、多くのモラハラさんが間違えている認識があります。
本来、叱るとは辞書で引くと「教える」こととあります。
叱るとは、怒るや怒鳴るではありません。
教えも、信頼も安心もできない人からは聞きたくないのです。
教えるのに、怒鳴り声や強い言い回しは必要でしょうか?
怒りや、強さは自己顕示欲です。
お説教されているほうも見ている方も、お説教している人を強いとは思いません。
その逆に「力を使わなくてはいけない弱い人」に写っています。
本当に強い人は、自分の意見を正当に説明できるので、声を荒げることも力で抑えることもしなくて良い。
冷静に、ただ伝えればいいと知っているのです。
指摘を聞いてもらう大一原則
意見を聞いてほしかったら、1対1が原則です。
先程にも書きましたが、人前では指摘された方は内容が一切入ってこないですし、周りの人にも迷惑です。
その逆に、褒める時は人前で。
誰かに認めてもらうのは、勇気や希望につながるからなのです。
それも、多い人数のほうが良い。
今回話したことは、机上の空論でも教科書でもありません。
私の経験と、カウンセリングの集大成です。
ちなみに、冒頭に話したモラハラによって鬱になってしった女性は私。
23歳の時に鬱になって、家から1年間出られなくなってしまった私です。
モラハラの人を責めているのではありません。
モラハラの人にも正義があるようです。
その正義が時として、相手にとって刃となり傷つけている悲しみを知ってほしいのです。
違う方法でも、人に指摘する方法はいくらでもあります。
自分が嫌われ者にならなくても。感情をむき出しにしなくても。
縦社会ではなく、横の関係で信頼と安心がある方が相手の心には響くのです。
過去の私は弱くて言えなかったけれど、今なら言える。
今の私、かっこいい!!
モラハラに苦しむ人には、勇気を出してこの言葉を言ってみてください。
それが、大切な職場だとしても自分の生きている尊厳まで侵されて生きていくより、環境を変えたほうが明るく良い人生になるのではないでしょうか。
そして、視点を変えてみてほしいのです。
モラハラの人は、誰よりも弱いのだ。弱いから自分が支配されないように支配しようとする。
モラハラされている人よりも、遥かに弱いのです。
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