人とうまくいきたいなら弁護士になればいい【知りたいあの人の気持ち】

目次

なぜ理解と共感が必要なのか?

簡単に「理解と共感しましょう」と言っても、難しいものですよね。

そもそも、どうして理解と共感が必要なのでしょうか?

それは、対人関係をうまくやっていくためですよね。

「一生一人でいい」なんて人はいないでしょう。

一人で良ければ、理解も共感も必要ありません。

友人、家族、恋人、会社、この全てにおいて人間関係は不可欠。

考えてみてください。

日常で人間関係を考える時、「自分」か「他人」のどちらかのことを考えているはずです。

その両方が理解できたら無敵ですよね。

では、理解と共感を得るためにはどうしたら良いかを書いていきます。

理解と共感へのプロセス

世の中には、人に興味のない人もいます。

それは、自己中心的とも呼ばれます。

自己中心的な人と一緒にやっていける人はいないですよね。

なぜ、自己中心的とそうでない人が居るのでしょうか?

自己中心的な人は、相手への興味の前のプロセスが完了していないから。

理解と共感習得までのプロセスを下記にまとめます。

理解と共感までのプロセス
  1. 自分を知る。(自分への興味)
  2. 相手を知る。(相手への興味)

あれ?意外と少ない?

実は、多くの方たちが1番のプロセスを飛ばして無理に2番に進もうとしているから理解と共感が難しく感じる。

自分のこともよくわからない人が、人のことは理解できません。

では、1番から詳しく説明します。

自分を知る。(自分への興味)

自分を知るというのは、自分への興味を持つこと。

言い換えると、自己中心的と呼べるものでもあります。

成人、すなわち20歳を過ぎていれば、本来「自分を知る」というプロセスは完了しているはずなのです。

学生時代や、家族の中で「自分は一体何者なのか?」「どうやって生きていきたいのか?」を知る。

自分への興味でいっぱいなので、相手への思いやりは持てなくて当然です。

興味は自分へ向けられているのだから。

これは健全な成長過程です。

しかし、現代はインターネットの普及から、人とあまり直接交流しなくても良いようになりました。

間接的な薄いつながりでは、人間関係が安いものへ転換し使い捨て感覚になります。

必要性が下がるので、人間関係内の生存本能が薄くなり人間関係を大切にできません。

すると何が起こるのかと言うと「自分を知る」プロセスの完了が遅れてしまうのです。

そのため、大人でも自己中心的な人も多くなります。

自分のことばかりなので、他人へ自分の正義をぶつけまくる。

そして、孤独へと向かう。

相手の正義などに関心が持てないからです。

人が理解と共感に興味を持つのは、だいたいこのタイミングです。

「あれ?自分が正しいと思っていたけど、人が離れていくぞ・・」

そこから、もっと考えると二手に分かれます。

「俺(私)は間違っていない」

または

「自分が間違っているのかもしれない。人のことも理解しなくては」

前者は、まだ自分を理解できていない証拠。

後者は、やっと自分を理解して人に興味を示した状態。

人間は、知ってしまえばそのことに興味を無します。

満足するからですね。

冒頭に、「人間関係を考える時『自分』か『他人』」だと書きました。

自分への謎が解明されて満足すれば、自然と相手に興味がいくということ。

では、どうしたら自分を知ることが出来るのでしょうか?

【第一ステップ・感情】

それは、「どんな時に自分は腹が立つのか?」「どんな時に自分は嬉しいのか?」「どんな時に自分は悲しいのか?」

これは、まず自分の感情を知ることになります。

【第二ステップ・理由】

それを理解したら、今度は内容を考えます。

「なぜそれで、腹が立つのか?」「なぜそれが、嬉しいのか」「なぜそれ、が悲しいのか?」

すると自分が見えてくるのです。

自分を知る自己分析シートと、詳しい性格分析は下記のリンクから目を通してみてくださいね。↓

【第三ステップ・行動】
そして、その内容に出会ったときの自分の行動に注目します。
怒るとどうするのか?はっきり嫌と言えるのか?言えないのか?
嬉しいと笑顔になる?
悲しいと一人で閉じこもる?
癖が必ずあるはずです。
結果、自分が何が好きで、何が嫌いなのかがはっきりします。
好き嫌いがはっきりすれば、生き方が確立します。
例えば私は「不誠実なことは嫌い(人を傷つける)」「それ以外は幸せなら人それぞれでいい」
というふうに、自分のココロの法律ができるのです。
その、ココロの法律を色んな人と触れ合ってつながりを見つけます。
不誠実な人(人を傷つける)とだけは居られないのが私(藤本ナミ)の世界です。
逆に、誠実な人が私は大好きということになります。
あなたにとって、許せることと許せないことは何でしょうか?
これで、「自分が知りたい人(好きな人)」「知りたくない人(知りたくない人)」が明確に分かれるはずです。

【はじめは万人のココロを理解と共感できるわけではない】

よく目にする「理解と共感しましょう」には、万人を知らなくてはいけないニュアンスが感じられます。
それは、不可能です。
なぜなら、疲れる。
理解と共感をしようとした時、疲れるのには二通りあります。
1,自分への興味が確立していない

人間は、二つのことを一気に考えることができません。

「明日の晩御飯のこと」と「好きな映画のこと」を一気に考えてみてください。

交互に考えることは出来ますが、同時に考えることはできないはずです。

人と居るときも同じ、その会話の中の「自分の気持ち」と「相手の気持」は同時に考えられません。
できないことをしようとしているのだから、疲れるに決まっています。
2,無理して相手を理解しようとしている
好きでもなければ、興味もない、なんだったら嫌いな相手を理解するのは高度な技術が必要です。
仕事や、やむおえない事情でない限り、知る必要もないでしょう。
嫌いな人や興味のない人への理解は、訓練すれば出来ますが共感はできません。
自分の真意に反することになります。
まずは、自分が知りたいと思う人。
気がついた人もいるでしょうか?
「知りたい人」それこそが答えです。
次の、相手を知るステップへと変化を遂げます。

相手を知る(相手への興味)

嫌いだったり、苦手な人のことを知りたい人は居ないですよね。

それも、好きな人のことを理解できるようになれば習得できますが、それは後に説明します。

まずは、好きな人のことを知りたいのではないでしょうか?

自分への興味が確立されていれば、ココロの中に大きな余裕ができているはずです。

相手の、言葉や思考、仕草や目線、色んな場所に興味がいくでしょう。

すると自ずと理解できてきます。

「なぜ、それが嫌なのか」「なぜ、それが好きなのか」「どうして、それが悲しいのか」

相手の、嫌なことや好きなことが理解できたら、人間関係はうまくいきます。

相手の嫌がることを、わざわざする必要のある場面など存在しないでしょう。

相手の好きなことが理解できれば、喜ばせることや笑顔にすることができます。

相手を知れば、自己中心的に自分の意見を押し付けることもなくなります。

それが理解と共感です。

嫌いな人への理解をしなくてはいけない場面もあるでしょう。

ここからは上級編になります。

嫌いな人や興味がない人への理解と共感

それは、嫌いな人の弁護士になること

弁護士である以上、裁判に勝たなくてはいけません。

判事に、嫌いな人の良いところを沢山言わなくてはいけないのです。

必死で探すんだ!!!

実は、私は今この段階です。

まだできないっす。

自分の正義を一方的に押し付けるから、人とうまくいかなくなるのは明確。

だから、理解と共感をし、すり合わせていく。

我慢ではいけません。長く続かないからです。

自分と違う考えを理解すると、視野が広くなります。

少しずつ、一歩ずつ、大切な人と一緒に居られる時間が増えていくはずです。

自己中心的な人生は、楽に見えるが人間関係は短命です。

その人生を選ぶのも人生であり否定はしませんが、人間に生まれてきた以上、人生の中で大好きな人とできる限り笑顔で過ごしたいのではないでしょうか?