子どもが悪友と友達になり非行や犯罪に走らないか心配【大人にできること】

目次

思春期の子どもを持つ親が必ず通る悩み

私の親友は、過去の不良友達です。

トップ写真は22歳の私達です。

思春期の子どもを持つと、必ず通る悩みについて考えていこうと思います。

「悪友」「不良」と呼ばれる子どもと、自分の子どもが過ごしているのは不安ですよね。

そんな悩みを解決しましょう。

今日のナミのカウンセリング
「子どもが悪友と最近お友達になりました。一緒に悪いことをしないか心配です。引き離したほうがいいでしょうか?」
「無理やり引き離すのは得策ではありません。そうしてしまってはお子さんとの信頼関係は破綻。その上、悪友との絆を深める可能性があります」
では、具体的にどうしたらいいのでしょうか?

私の親友は過去の不良友達

思春期や児童期は、好奇心が旺盛。

しかし発達心理学上、善悪の区別はまだ完全ではなく、この時期に学ぶものでもあります。

多くの親が心配するのは「ドラッグ」「万引や窃盗」「暴行」その他の犯罪に巻き込まれる危険性ではないでしょうか?

実は私も、今の親友(まゆみ)とは悪友でした。

悪友と言っても、私達は人を傷つけることはしませんでした。

だから、今でも一緒に居られます。

悪友や不良と呼ばれる人と交流がなかった親御さんのためにも、私の例をご紹介しようと思います。

【まゆと私は高1のときに出会った】

まゆとの出会いは、私が高校中退間近のある日のこと。

その頃私は、過去の親友に彼氏や友人を取られてやさぐれていました。

信じていた親友が彼氏と浮気していたし、クラスからはある日、突然仲間はずれにされた。

その後、その彼もクラスの友人も謝ってきたけど戻ることはありませんでした。

そして、家には親も姉もほとんど居なく心を閉ざしていたのです。

そんな時に、態度の悪いまゆと出会ったのですが、まゆもまた友人に裏切られてやさぐれていたのですね。

思い返せば、私達の出会いは傷の舐め合いからでした。

でも言える事は、あの時私達が大人に引き離されていたら今の私達は居なかったでしょう。

そんな私達が、片方は某大企業で凄腕の外資系企業のアドバイザーになり、片方は日本福祉大学に行きながらカウンセラーをしています。

確かに無謀な私達は、犯罪に巻き込まれてもおかしくない日々を送っていたのです。

街で遊んで、お金がないからナンパに乗るふりをして、知らない人に車で家まで送ってもらってたし、案の定、山奥にさらわれて、身体を許すか置き去りにされるか選ばされたり。

運が良かったのは、置きざりにされただけだったこと。

2人で「PHSがつながらない・・・」と、ぶつくさいいながら山を降りて、電話がつながったのは夜中の4時。

もちろん、そんな時間に起きて迎えに来てくれる友人などいるはずもない。

と思いきや、一人でドリフトを山奥でしていた友人に、電話が繋がり帰宅できた。

大人になると、悪友や不良への偏見が生まれます。

しかし多くの児童が非行に走るのは「理解されない寂しさや悲しみ、疎外感」から「理解し合えて、傷を癒せる友人がほしい」からなのです。

中には、ネジが弾け飛んで行くとこまで行ってしまう人も居ました。

殺人を犯したり、薬で死んでしまったり。

では、話を戻しましょう。

引き離す前にするべきこと

なぜ、ここまでしても引き離すべきではないのか。

不良には、不良の世界があるのです。

無理に引き離しても、何の解決にもなりません。

時間差で新たな絆を作るでしょう。

私達は、一緒に学びました。

車に乗ったらさらわれるんだ。じゃあ自転車に乗って帰ろう。

薬に手を出したら死ぬかもしれないんだ。→止め合おう。

大人からしたら「あたり前のことであり、くだらない学び」かもしれません。

でも親友からの言葉や、親友と過ごす思春期は、人生に大きな影響を与えるのです。

繰り返しになるが、私達は運が良かった。

ちなみに、私達はお揃いのタトゥーが入っているけど、後悔はしていません。

私は追加で腕とかにも入れたから、就職やプールは大変ですが、悪いことをしたとは思っていません。

親には心配かけたから申し訳ないし、娘をプールに連れていけないから、めっちゃ稼いでハワイの海に連れてってあげたい。

これが生き残った私達の写真です。よかったね私達!

度が過ぎる悪友との不良行為は、児童センターや学校の先生との連携も必要になります。

私達はその頃、大人に何も教わらなかった。

自分たちの未来は、大人たちに諦められてしまったから。

諦められるということは、死んだも同然です。

だから、諦めないであげてほしいのです。

「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますよね。

この言葉は、善悪がちゃんとついておらず、意思決定の出来ない者の言葉。

善悪の区別がしっかりしていて、意思決定がはっきりしていれば、悪友が居ても一緒に悪事に手を染めません。

しかし、思春期はそれを学ぶ時期でもあるので確立させるのは難しいでしょう。

でも、大人が伝えて向き合うことを諦めてしまったら、非行は悪化します。

諦められて、さらなる疎外感の中で生きていることを、言語化出来なくても子どもたちは心で知っているのです。

【可能性を伝える】

夢がある子どもになら

「友人と遊ぶのはいい。でも今そうしていると〇〇になれない。世の中は、そんなに甘くないんだ。今こうしている間にも、ライバル達は必死に勉強して目指しているんだよ。大人になって「助けて!」って泣きつかれても、親には何も出来ない。あなたの人生は、あなたが作っていくしかないから。それでもいい?」

自分がまだよくわからなくて、さまよっている子なら

「悪いことを一緒にしる友人を[悪友]と呼ぶんだよ。遊ぶのはいい。でも、流されてしまっては自分を失ってしまう。自分がないということは、殺人やドラッグで人生が終わるかもしれない。それでもいい?」

他にも色々ありますが、今を過ごしていると、どういう未来が待っているかを伝えることで子どもなりに考える。

多くの児童が、過度な非行に走るのは「先にどうなるか知らなかった」から。

先読みの応力が、まだ備わっていないのです。

「薬をやりすぎたら、死んでしまうなんて思っていなかった」

「喧嘩して殴り過ぎたら、死んでしまうと思ってなかった」

「盗んだ車の中に赤ん坊が居て、逃げたら熱中症で死んでしまうなんて思いもしなかった」

だから可能性は大人が伝えなきゃいけない。

伝えたとしても、人生を選ぶのは子どもだということを、私達大人は忘れてはいけません。

彼らは、悪友といるなんて感覚はない。大切な友達といるだけだと思っているのです。

その友達と、無理に引き離されたと感じたら怒るのは当然です。

だから、子どもが朱に染まらないように、大人の役目はただひたすら可能性を伝えて子どもの想像力と知識を養わせる必要性があります。

「薬をやりすぎたら、死んでしまう」ことや

「喧嘩して殴り過ぎたら、死んでしまう」こと

「盗んだ車の中に赤ん坊が居て、逃げたら熱中症で、死んでしまう」ことを。

【してはいけないNG言葉】

伝える時に、してはいけない事があります。

この時期の子どもは、デリケートで反抗的になっている事が多い。

なので「あなたも、大人になったらわかる」とか「〇〇に決まってるんだから聞きなさい」というような上から目線では、聞き入れません。

だって「やってみなきゃ、わかんないじゃん!」になるからです。

【効果的な伝え方】

上から目線で話すよりも効果的な方法は、自分の過去の過ちを話すことです。

だから、私はこうして自分の過去を書いています。

過去なんか、みんな漆黒ブラックなはずなのです。

過去に過ちがないなんてありえない。過去は恥ずかしいに決まっている。

その恥ずかしい過去をあえて伝えることで、ココロを大人から開き誠意を見せて、話を聞いてもらう姿勢でいることを、大人が伝えなくてはいけません。

私だったら「ママは、まゆちゃんと過去にナンパの車によく乗っていてね、さらわれて山奥においていかれたんだよ。考えればわかるはずなのに恥ずかしいよね。それにすごく怖かった。あなたにはそんな風になってほしくないな」

そして、大人に何も言われなくなることは、諦められて死んだも同然なんだということはちゃんと伝えてあげなきゃいけません。

「諦められる前に、自分を大切にしようね」ってことを。

私達が非行から立ち直った最大の理由

何故わたしたちは、非行から立ち直ったのでしょうか?

その最大の理由は、社会統制理論からなっています。

すなわち、非行とは社会や家族、友人などとの関係が希薄になることで始まり、その希薄さが増すことで「自分は何をしてもダメな人間なんだ」と学習性無力感の状態になります。

それが非行の原理です。

それに対し、私達は親友という「自分を理解してくれる存在」との信頼関係を構築できたことによって、取り返しのつかない非行に至る前にお互いを高め合う方向転換に成功したのです。

もちろん、もっとひどい非行に転換した可能性も否めません。

しかし、むやみやたらに友人と引き離すとせっかく信頼関係を築き前向きに転換できた可能性のある人的資源を失うことになります。

その結果、もっと悪い友人と付き合いを始め、親は自分の人生を邪魔する存在と認識され家族関係ももっと希薄になり、非行が悪化する可能性があります。

相手の友人をよく見極めて、その関係性に入っていけるのなら、親としてではなく一人の信頼できる人間として子どもたちに語りかけるような生活にしていくことが大切です。

大人にはまだまだできる事がある。

私にも娘がいるから、見守る辛さは誰よりも理解できます。

危険の可能性を感じながら見守る日々は、生きた心地がしないでしょう。

でも、そうするしかないのではないでしょうか。

そして、親には家族の絆を今一度、見つめ直す必要があります。

忙しくて、子どもの心を放置していなかったでしょうか?

子どもの心に耳を傾けず、自分の主張ばかりをぶつけては、いなかったでしょうか?

もしも、身に覚えがあるのなら、今からだって子どもの疎外感をなくすための心の交流はできるし、絆は修復できます。

思春期だって、子どもは所詮子ども。

かまってほしくて、愛されたいのは変わらないのです。

そして、悪友だって私達のように、一生のかけがえのない友人になることだってあるのです。

私だったら「その子を紹介してよ!」と言って仲良くなります。

必殺、友達も巻き込んで更生してやろうじゃないか作戦。

自分の友人を認めてくれない親に心は開かないけど、

自分の友人を認めてくれる親だったら、子どもは心をひらいていくものです。

さあ今日も前向きに、まっすぐに育児しよう!

みんなズッ友!!