【SNSで話題】「コンドームを置くようなものだからやめろ」とは…女医も実感する、ピルへの偏見の深刻さについて

【SNSで話題】「コンドームを置くようなものだからやめろ」とは…女医も実感する、ピルへの偏見の深刻さ

出典元:citrus(シトラス)

上記の記事は深刻なものだと思いますのでご覧になってみてください。

本日は私の経験と決意なので、いつものような知識における記事ではありません。

私も生理不順でピルをお願いしたら、性的批判した医師がいました。

その医師は驚くことに院長でした。
「やりたけど、子供はいらないんだろ?」と。
あえて、その言葉のままここに書きます。
あの日の苦痛は忘れない。ばかやろう。

昔ながらの「結婚するまでは性行為はするべきではない」という考えから抜けだせない男性の、日本人的思考を変えるのは簡単ではないのですよね。

女性特有の悩みを理解してもらうための、思考を変える事も容易ではないみたいです。

認識を変えた人が広めていくしかないから書きます。

この記事には、生理痛で悩む女性が職場のデスクにピルを置いていただけで

「コンドームを置いてるのと変わらないからどけろ」

そう言われたそうです。

この心無い言葉は、医学領域の人達だけで認識している事が当然の事だからという理屈では成り立たないのではないでしょうか?

母親が親権を持つ、ひとり親世帯の貧困率が80%の日本では未だに男尊女卑が当たり前。

私は、上司によるセクハラで訴えることも出来ず昼の職場を3度も理不尽に退職した経験があります。

「俺の愛人にならなれけば立場ないよ」

ひとり親が訴訟を起こすには、大金と時間がかかります。

だから仕方なく諦めるしかない。

福祉の世界では未だにこの現象は多く、止める術を知りません。

1人で子供を育てているという理由だけで「弱者」と思われ搾取されるのです。

それは身体や金銭だけではなく、心も同様に。

私の経験を発言することで苦しむ女性が減るのなら、私は恥じらいなく文章にしていこうと思います。

国民を見捨てず殺さない日本だけど、女性が活躍することにはまだまだ理解が少ないようです。

心の病や、身体的病気に関しても追い込むような発言をする人がとても多いと感じます。

本当に自分や大切な人が同じ病にかかっても、その人達にかけたように批判的な言葉をかけられるのか疑問で仕方ありません。

厳しい言葉よりも、甘えさせるようなその場しのぎの言葉ではなく、その人が前向きになれるように、思いやりのある言葉や行動をすることが人間のあるべき姿だと思います。

私は人の心や身体の悩みを批判する人を、成熟した人としては認識していません。

その批判的発言の原因がその人にとっての、ストレスからくるものであれ、一時の迷いであれ、素養にないものは素の状態からは現れないと思っています。

その批判はいずれ自分の元へ向けられます。

それを教えてくれたのは、私が心から信頼している人達のおかげでした。

私の信頼している人達は、そういったことはどんなに自分が追い詰められていてもしません。

追い詰められているのに人を思いやる気持ちを忘れない。
「そんなに今辛いなら、人の事なんかいいのに」
数え切れないほど思ってきました。

だから彼女、彼らは多くの人間関係を望まなくても心が満たされるのだと思います。

私は娘を世界で1番に愛しています。

娘が大きくなるまでに、少しでも偏見や差別が無くなる世界になるように今後も福祉と政治を学び、考えて伝える努力をしていこうと思います。

何故こんなにも強い言葉を書いたのかと言えば、人の痛みを分からない人とお付き合いしていくことは、私にとって1番不可能なことだとはっきり理解したので、今までは「思いやりのないこと言う人だけれど、良いところもあるし」と思って縁を切れなかった人たちも、大切な人を守るためには断ち切らなければいけないと決心したからなのです。

こんなことを書くのは最初で最後かもしれませんが、娘が病になってから、本当の痛みとは自分自身が負うよりも大切な人が負う痛みの方が遥かに痛いんだと知りました。

その傷を癒せなくても、理解しようとし出来ることを考えて生きていくことが必要なんだと自覚しました。

先日ギャングースの映画を観て、字も読めない子供達が日本にはいることは知っていたけど、その子どもたちがどうやって生きていくのかを観ました。

皆が学生時代に流行っていた曲すらも知らない。
それは生きていくのに必死だったからです。
私も生きていくのに必死で「普通は知っているであろう世の中のこと」を知らずにに生きたこともあります。

自分が当たり前と思っている世界は、とても小さく少ないものなのです。

私たちが当たり前に知らなかった世界を知っている人達なんか、この世界にたくさんいます。

自分が知っている世界があって、縁があってその事を知らない人が目の前にいるのなら、優しく教えてあげるだけでいいと思います。

「知らぬは罪」は、貧困大国の日本では言い切れないものがあると強く感じます。

でも残念ながらこの国には、自分の知っていることや当たり前の心や体の健康を持っていない人たちに対して、厳しく理解のない言葉をかける人が多いと感じます。

だから私は世界で1番大切な娘を含め大切な人を守るためには、1人で生きてきた時のようにしていては守れないんだと思いました。

今まで許してきた心無い言葉や想いを持ち、搾取する人たちからキッパリ離れる覚悟を決めたのです。

何かを得るためには代償が必要なのは当然ですが、その大きさが大きければ大きいほどに代償も大きくなるのですよね。

この選択を私は後悔しません。

人と離れることがとても悲しくて、許せないことがとても苦しくても、大切な人を守るためにはそうしなければいけない。

そうでなくては、自分のキャパなんか限られているのに何人も全力で守ることなんか出来ないからです。

数が多ければ力も分散されます。

人の傷を自分の事のように思いやれる人達しか本当はこの世界にはいないと思っていた幼い私から、大人になった私はエクセレントに強く、きっと美しい。に違いない。