恋愛や仕事を成功させる自分の出し方【成功する人がしている1つのこと】

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偽りの自分を演じても時間差で全部見抜かれる

本当の自分を隠してよく見せていたとしても、本質って時間差で見抜かれてしまいます。

私が小手先のテクニックを肯定しないのは、どこまでいっても人間は本質でしか勝負できないからなのです。

SNSで「すべてを手に入れる」と文章で書きつつ、笑顔で写真に写る女性がいました。

笑顔でバッチリメイクをしていたとしても「すべてを手に入れる」と自信満々に言えるということは、搾取する側の人間というのが浮かび上がります。

他にも「旦那さんとうまくいってます」と旦那さんと映る写メつきの記事をSNSに載せていたとしても、他の記事に「女は別れたときのために誰かをストックしておく必要があるため、パートナーがいても他の男性と遊ぶべき」なんて事を書いていたら、自分勝手な性格であり旦那さんと本当はうまくいっていないことが読み取れますよね。

自分と結婚しているのに「別れた時のために他の男性と遊んでいます」と堂々とSNSに投稿するような女性への愛って男性は保てるでしょうか。

「SNSだからいい部分だけ書いておけば大丈夫」と安心しているのは、本人だけが思っていることです。

全身ブランド品に身を包み、常に高級ホテルのラウンジで沢山の人に囲まれて写真を撮って記事をアップしているキラキラ起業家も同じ。

本当のセレブというのは自分の裕福な生活を、あからさまに人に見せつけるような下品な投稿はしません。

自分を良く見せたい感は伝わるものですし、その記事には決まって自分の自己顕示欲がすごい文章が書かれています。

「こんな高いバック持った私」や「こんな高級ホテルにいつもいる私」

しかし、人間性は見た目や写真と違って隠すことができないから、言葉に重みがないのです。

なぜ自分も偽り、人も欺くのかと言うと手に入れたい何かがあるからなのです。

「お金」だったり「地位」だったり「人の心」だったり。

自分を偽って、手に入れたものは幸せでしょうか?

手に入れることは、そんなに価値のあることでしょうか?

そして長く自分を偽っていると、自分自身でも本当の自分がわからなくなるのです。

それは、とても恐ろしいこと。

人が死ぬ間際に思うことは「この世に自分が何を残せたのか」ということだそう。

これは死んでいった人や、死んでいった人たちを看取った人たちから学ばせていただいた心理なのですが、この意味とは言い換えれば「自分が、どれだけ人やこの世界に与えることができたのか」になります。

お金を沢山手に入れても、人望もなくお金と一緒に燃やされて死ぬのは幸せでしょうか?

お金が悪いとは言っていません。生きていくため、人生を豊かにするためには必要です。

しかし過剰な欲で、自分を偽りお金や物や人を手に入れることは、私からしたら不幸への道を自ら進んでいるようにしか思えません。

人に誠実に向き合って、搾取するのではなく人に与えられる人生こそが生きた証だと思います。

与えて生きている人と、搾取して生きている人の顔ってぜんぜん違うのです。

指名手配の写真が悪人そうに見えるのは、たまたまそういった写真を使っているのではなく、そういう人生を歩んできたからなのです。

人を欺いて生きている人は、安っぽくてウソっぽい顔になっていく。

女性が必死にメイクしても正確の悪さやだらしなさは隠せないし、経験値の高い男性であれば見抜かれる。

裏切られて傷ついたとしても、誠実に生きていくのが一番です。

小手先は所詮小手先

世に溢れる恋愛指南書には「小悪魔テクニック」「キュンとくる仕草」

など人間性からかけ離れた「手に入れるための手段」が多く載っていますね。

男性向けまである始末。

小手先の技術では所詮小手先だから、すぐに偽りなのがバレてしまいます。

そ欲深いテクニックを使われた異性の心は離れ、2度と信頼関係は築けません。

そもそも愛というのは、私利私欲のために手に入れるものではないと思います。

人の心は物ではないのですよね。

偽りの自分を演じて手に入れた愛で、自分が心から幸せなのでしょうか?

相手を欺き自分の心も偽るというのは失礼なことですし、基本の道徳的観点でも「人にされたら嫌なことは、自分も人にしないようにしましょう」というのを小学校で習っています。

考えてみてください。

もし、異性があなたに近づいてきたとします。

その人はとても誠実で、王子様のようで非の打ち所がない。

そんな素敵な部分に惹かれて、あなたは信じて興味を持ったとします。

でも、それは偽りだったとしたら?

自分の気をひくための演技だとしたら、その人を信じて愛するに値するかという話です。

手に入れたいと思っているうちは、その人を本当に愛しているのとは違います。

相手の心を操ろうとしている時点で、物として自分が相手を見ていることに気がつかなければなりません。

そんなことに意識を集中するのであれば「相手に何ができるのか」とか、自分の見た目や中身を根本から磨いて魅力的になる方が建設的で健全ではないでしょうか?

それにどんなテクニックを使おうとも、答えなんか存在しません。

自分がした行為や言葉に、相手がどう反応するかは十人十色。

肉食男子の攻略とか草食男子の攻略とか、LINEの頻度や話を何割聞くか。なんてことは考えるだけ無駄なのです。

結局、いつもの自然な自分で勝負する他ないのです。

それに自然な自分でいる方が楽だし、偽って人と居ても幸せじゃないし疲れるじゃないですか。

小手先テクニックが悪だといっているわけではなく、無意味だということなのです。

自分と向き合い進化していくことって、しんどい事もしなくてはいけないけど、習得してしまえば日常的に出来るようになるので誠実な武器になります。

小手先で引っかかるような異性は、正直いってそのレベルということになってしまいます。

成熟した大人は、小手先の違和感を瞬時に察知する。

本物は、いつも本物しか相手をしていないから偽物がわかるのです。

例えると、上質な布の洋服をいつもきている人は粗悪な布がわかるのと同じ。

小手先に頼るということは自分に自信がないということだから、素の自分に自信が持てるように磨けば良いのです。

磨けば磨くほど自信もつく。

素で魅力的な人は初めから魅力的だったわけではありません。並大抵ではない努力をしています。

「自分磨きをしている人は暇人だ」なんて言葉を言った人もいますが「じゃあ人生他に何をするんだ?」と私は思います。

自分磨きというのは見た目だけでなく、人間力を磨く方がメイン。

年齢を重ねていくと「可愛いけど頭が悪い」で、若い頃は通用してきた人も通用しなくなっていきます。

「何もできないけど甘え上手」も年齢と共に見放されていくのです。

自立した大人に魅力を感じるようになっていくからです。

ストイックな人ほど、自分をちゃんと磨いています。

自分を磨かないで、人をコントロールしようとする人に限って暇そうにしていると思います。

テクニックなんかではなく、自分自身で勝負できる魅力的な人になることが幸せへの唯一の道です。