目次
サイキックなんかいないし求めないでほしいとみんな思っている
男性がよく言う言葉で「『察してよ』なんて無理だからその時に言葉で言って!」
そのとおりでございます。と思うのですが、
男性でよく見られる「あまのじゃく」。
これも、女性の「察して」と変わりません。
それは残念ですが伝わりません。
女性に
と言うならば、男性も「言葉でちゃんと伝えなくては何も伝わらない」と考えなければ気持ちは伝わりません。
理想は、言葉なんかなくてもわかり合ってる関係ですよね。
しかし、人間界においてそんな関係はありません!
そして女子は、魔女やサイキックではないのです!
そうであれば言葉で伝える練習が必要になります。
逆に、いつもプンプンしている女性がいたとして
と言われたとしましょう。
そんなのわかるかい!!って話になりますよね?
あまのじゃくな態度をとってしまった男性のほとんどが
と後悔しています。
なぜでしょうか?
- 恥ずかしかったから照れ隠し。
- 自信のなさから相手の気持を確かめるためにわざと逆の態度をとった。(構ってほしい)
- 幼少期からの家庭環境や親の育て方による人間不信。
しかし直さないとこんなとんでもないことに。
こんな男女がいました。
Aちゃんのことが大好きなB君。
しかしB君は、あまのじゃくを発動し会う度に
とAちゃんに言っていたのですね。
そこでAちゃんが私に
私はBくんにこう言いました。
と
素直になっていたら二人は結ばれていたでしょう。
こんな言葉を発言する男性も居ます。
そんな事をあなたも思っているとしたら、ずっと一人の可能性があります。
女性には素直さを求めるくせに、自分のことは態度や言葉が真逆でも理解してほしいだなんて、都合のいい話はないのです。
あまのじゃくでいて、良いことって何があるのですか?
答える前に言います!!
ない!!!素直が一番!
素直な気持ちを伝えるのは、勇気がいるかも知れないませんが、頑張って伝えなきゃ大切な人を失う可能性が大きいです。
彼があまのじゃくな場合は、女性側が「もう。素直じゃないんだから」って大人になって、笑いに変えるくらいになれたらいいですよね。
それって難しい。大好きな人の言葉や態度だから、みんな素直にそのまま受け止めてしまうのです。
だと思います。
そうして離れてしまうのは、とっても悲しいと思いませんか?
だから、やっぱりお互い素直にならなきゃいけません。
あまのじゃく男性の心にも、女性の察してにも「自分を理解してほしい」という気持ちが入っています。
だからこそ、ここからは「あまのじゃくな相手」とうまくやっていく方法をかいていきますね。
「気づかい」は無理に気を使うことではない
「ありのままで」この言葉はいろいろな視点で物を考えられ、思いやりのある人間にとっては素晴らしい言葉だけど、想像力のない人の「ありのままで」は自己中心的な言動になってしまいます。
「相手に気を使うということは、相手の能力を過小評価していること」だと言う人もいますが、そうでしょうか?
世の中の素敵な男性が、口を揃えて発言するのは「気づかいのできる女性に支えられている」と、発言しているという事実が多数あります。
気づかいとは「無理に気を使う」ことが自分も辛いし、相手も違和感があるのであって、「思いやりを持って日常から気づかいができる」女性は、自分も辛くはならないし相手の男性も居心地が良いし、いい事しかないと私は思います。
もしも間違った気づかいをしていたとしたら、それは意思の疎通不足によるものじゃないでしょうか。
恋人同士にしても夫婦にしても、根本には「言葉による意思の疎通」が必要。
言葉でちゃんと日々コミュニケーションをとっていたら、間違った気づかいにはならないと思います。
私のパートナーは、人の気持ちに敏感なので、私が忙しそうにしていると自分の身の回りのことは頼まなくなります。
私は「忙しくて出来ないことは出来ないと言うから、してほしいことがあったら言ってね」と伝えています。
「これが思い合って、支え合って生きているということなんだな」という実感があります。
「相手が大変だから見くびっている」のではなく、「相手が今していることがもっと取り組みやすく、より良くなるために自分ができることを探してしている」だけ。
であって、そこに見返りなんか求めていません。
見返り目的や、無理して気づかうのは健全ではないと思います。
お互いが好きに生きていていいのだとしたら、パートナーでいる意味ってあるのでしょうか?
お互いが相手を愛しているから、自分にできることを探して支え合っていくということが恋人でも夫婦間でもうまくやっていく秘訣だと思います。
気づかいの日常化+「ありのままで」
というのが、健全でお互い幸せな関係ではないでしょうか。
気づかいという思いやりを習得するまでには、すごい訓練が必要です。
それができるようになると、同性からも異性からも性的な視線でなく人間としての支持が多くなっていきます。
誰だって自分のことを考えてくれて、思いやってくれる人のことは好きになるものですよね。
本当の気づかいを習得するまでは、おせっかいをしてしまいう事もあるかもしれません。
おせっかいになってしまっていたとしたら、今後は「他者に世話を焼き自立させず自分に依存させ、自分の優越をつけることで自分の存在価値を確認しているかもしれない」可能性を考えて変えていけばいいんだと思います。
ここからは、気遣いのルールについて書いていきますね。
気づかいのためのルール
気遣いの達人になるためのルールを考えてみました。
- 見返りを求めない(自分が無理しない範囲にとどめる)
- 「自分だったら」を想像する(相手の立場に立つ)
- 言葉で聞く(勝手に行動しない)
- してほしいことがあれば自分も伝える
上記の4つを考えていきましょう。
【見返りを求めない(自分が無理しない範囲にとどめる)】
無理を続けていると、体にも心にも負担がかかりますよね?
そして、あなたを愛している人は、あなたに無理をしてまで気遣いしてもらっても悲しいと思います。
ずっと続く関係の中で、自分のできる範囲を知りとどめておくことは大切です。
そして、無理をすると自分自身を大切にできていないということになってしまいますよね。
無理していると
という気持ちから見返り目的になってしまう。
それでは、本末転倒というものです。
気づかいの根本は
ということが絶対的条件です。
【「自分だったら」を想像する(相手の立場に立つ)】
気づかい=思いやり=想像力
の構図なのですが、相手の立場に立てないと気遣いはできません。
なぜなら
を想像することで、思いやりの訓練になるからなのです。
その上で次に進むのですが
【言葉で聞く(勝手に行動しない)】
あなたが相手の立場になって考えて、できることを見つけたら勝手に行動しても、もしかしたら相手にとったら不必要かもしれませんよね。
なので「相手に言葉で確認する」ということが必要になります。
私の家庭の場合だと、パートナーはずっと執筆している方なので、飲み物もまともに飲まないこともあります。
その上、肩も疲れやすい。
なので「飲み物飲む?なにがいい?」とか「肩のマッサージしようか?」と聞いています。
「いらない」と言えばしなければいいし「欲しい」と言えば用意すれば良い。
相手の性格にもよるのですが、自分の体にムチを打っているのに気が付かないで働く男性には「少し無理しすぎていない?」と声をかけるのだって、思いやりだと思います。
見返りなしの気づかいの言葉をかけられて「俺の能力がないって馬鹿にしてんのか」なんて思う人は居ないと思います。
【してほしいことがあれば自分も伝える】
してばかりの関係は、健全ではありません。
自分が助けてほしい時も言葉で伝える。
助けて欲しい時も、相手の状況を相手の立場になって考えた上でですが。
なぜ頼ることに違和感を持たないのかと言うと、自分自身も見返り目的でもなく、無理もしていない日常的にできることをしているため、相手にも同じことを求められるのです。
人に頼るのっていけないことですか?
人は、いつも誰かに頼って頼られて生きてると思います。
住んでいる家も貸してもらっている。
買った家だって誰かが作ってくれたものです。
食べている物だって誰かが作ってくれたものですよね。
自立するというのは大切なことですが、人に一切頼らないことが自立ではありません。
支え合いながら精神的、社会的に自立していくことは素晴らしいことだと思います。
そうして、心で接しているうちに言葉にも素直さが出てきます。
お互いが素の気持ちを持つことが大切ですよね。
素直な気持ちで相手に伝えたり、相手のためになることを考えるのが「察して」「あまのじゃく」の解決方法です。
あまのじゃくや察しての男女の本心をしぐさで知る方法はこちら↓