人の心を動かす方法【話し方?内容?テクニック?】

目次

テクニック本に沿った手法では人の心は本当の意味で動かない

マンボウくん
マンボウくん
「どうしたら人の心を動かすことができるのでしょうか?」

期間限定で人の心を動かすことは誰にでも可能です。

心理学やテクニックを学べば習得できるものだけど、それは長続きはしません。

その理由として、相手の気持を無視した自分本意の会話は説得にしかならないからなのです。

では「本当の意味で人の心を動かす方法」とは何でしょう?

今日は「本当の意味で人の心を動かす方法」を考えてみました。

動画版↓

説得と納得の違い

皆さんは「説得」と「納得」の違いをどう考えますか?

下記に違いを並べてみたよ。

【説得】

「説得」とは、こちらの考えを相手に理解させようとする働きかけ。

自分の論理で相手をねじ伏せるという感覚です。

 

【納得】

「そりゃそうだよね」と腹にストンと落ちるような感覚。

こちらの考えを、相手の腹に落としてもらうイメージです。

自発的に考えて相手が腑に落ちる状態にする必要があります。

このように、説得には無理矢理感があり時間経過と共に違和感を与えてしまいます。

では人の心を動かす納得とは、具体的にどういったことなのか考えていきましょう。

納得で人の心を動かす

納得してもらうための、いくつかの条件を考えてみました。

納得させるための条件
  1. 信頼関係ができていること。
  2. 自分の利益ではなく、先に相手の利益を考慮して話す姿勢。
  3. 感情的ではなく論理的に。
  4. 自分に同じ言葉をかけて納得できるかと言う検証。

上記が相手の心を動かす納得条件なのですが、1から順番に考えていきましょう。

【信頼関係ができていること】

葉というのは「何をいうか」ではなく「誰が言うか」という方が大きいというのが私の見解です。

相手との信頼関係ができてなくては、相手の心まで言葉が届きません。

企業のような商談であれば、会社同士の信用があれば言葉が重視されるのでしょう。

友人、家族、恋人となれば、まずは信頼関係を築くことがなければ納得は得られないのです。

 

【自分の利益ではなく、先に相手の利益を考慮して話す姿勢】

相手に自分の要求を伝える時というのは、「自分本位」になりがちです。

逆の立場で考えても、自分の心はないがしろで要求だけを押し付けてくる人の言葉で心は動かないのではないでしょうか。

そのため「相手も自分も、できるだけ平等に幸せに」という根本の考え方が必要になります。

例えば

洗濯の時大変だから、脱いだ靴下は裏返しにしてほしい。という要求があるとします。

ここで説得型の自分本位の言葉だと

ナミちゃん
ナミちゃん
「洗濯大変って言ったよね?靴下裏返してよ!」

この言葉では、なかなか相手にの心は動かせません。

ここで

ナミちゃん
ナミちゃん
「靴下を裏返しておいてもらえると、お気に入りの靴下が傷まないで長持ちするよ。私も洗濯が楽になって助かるのだけど協力してもらえないかな?」

と変えてみたらどうでしょう?

あくまでも協力してもらうという謙虚な姿勢と、自分のお気に入りの靴下の事も考えてくれたという喜びすら感じるのではないでしょうか。

ここで大切なのは、偽った気持ちではいけませんよ。

【感情的ではなく論理的に】

先程の例をでご理解いただけるかと思うのですが、感情的に話すと「怒り」だけが伝わってしまい言葉が響かない。

それに、怒っている人の言葉なんか誰も聞きたくないものです。

相手が納得できるような論理を、組み立てて話す必要があります。

 

【自分に同じ言葉をかけて納得できるかと言う検証】

ここまで考えたら相手の伝える前の最終テストです。

もう一人の自分が目の前にいると仮定して、自分に説明して納得できるかどうか。

できなければ、自分でも納得できる論理を考えなくてはなりません。

自分本位になっていないか?感情的になっていないか?論破できているか?

納得を導き出すには、自分にも相手にも誠実で偽りがない心でなくては説得になってしまいます。

私も、この方法を定着させるために半年かかりました。

それだけの価値があると思います。

「腑に落ちる」感覚がお互いに増えていけば、大切な人との仲も深まっていきます。

最高!!

ここからは不仲だった夫婦が、関係修復のために私のカウンセリングで試してもらった事例でお話したいと思います。

すれ違いから離婚まで

ナミちゃん
ナミちゃん
「パートナーが話し合いに向き合ってくれず困っています。どうしたら話し合いしてくれるでしょうか?」

これは実に多くの夫婦間での大きな悩みの一つであり、離婚の原因の一つ。

その原因と解決法とは・・・。

多くの場合

・付き合い当初から話し合いなんかまともにしたことなかった。

・問題が起きてもなんとなく放置していつの間にか忘れていた。

・そもそも自分とすら向き合えてない人と一緒になった。

・どちらかが相手を裏切るような行為をした。または繰り返した。

以上が多くの原因なのですが、具体的に1つずつご考えていきましょう。

【付き合い当初から話し合いなんかまともにしたことなかった】

これはお互いに「話し合うことの大切さ」を知らない場合、話し合い自体を避ける傾向にあります。

【察することはできない理由】

「察してよ」

この言葉はエスパーでもない限り人間には不可能ですよね。

さんざんナミさんは「ノンバーバルコミュニケーション」について話していたくせに!

そう思われる方もいるかもしれません。

ノンバーバルコミュニケーションについては、下記の記事をご参照ください。

上記の記事でも話しているように、ノンバーバルは「言葉よりもわかりやすい場合がある」という解説なのです。

それと同時に「察して」は察して側の要求であり、察する側がFBIの行動化学捜査官でもない限り不可能。

「察して」とはどういうことで、どういったすれ違いがおこるのか考えてみましょう。

ある日、あなたの旦那さんが友人と飲みに出かけた。
旦那さんは、なんの連絡もなく朝帰りをし、あなたは
ナミちゃん
ナミちゃん
「寝ないで心配して待っていたのに」
という思いから旦那さんの目が覚めた時、不機嫌な状態。
そこで、起きた旦那さんはあなたを見て
「どうしたの?」
マンボウくん
マンボウくん
と聞いてきた。
あなたは
ナミちゃん
ナミちゃん
「そんなことくらい察してよ!」
と言い残しましたが、旦那さんにはさっぱりなんのことだかわからない。
そして翌日、問題は解決しないまま旦那さんが仕事から帰宅し、早々に不機嫌だった。
あなたは
ナミちゃん
ナミちゃん
「どうしたの?」
と聞きましたが、旦那さんは
「それくらい察せよ」
マンボウくん
マンボウくん
と言い残して部屋に入ってしまった。
あなたには、旦那さんがどうして機嫌が悪いのかわからない。
旦那さんの心中は
「今日は仕事でとても嫌なことがあった。仕事から帰ってきたのだからわかるだろ」
マンボウくん
マンボウくん
だった。
わかるかい!!って話ですよね。
これが「察して」の原理です。
自分では自分の気持ちを理解していても、相手は本人ではないので本当の気持ちは理解することはできません。
ノンバーバルで読み解けることは、「怒り」「悲しみ」「焦り」「恐怖」「喜び」
こういった感情的なものなのです
何がどういう理由でその感情になっているのかは、言葉で伝えない限りわかるわけがありません。
なんでも察することが可能なのであれば「言葉は人間には不必要」ということになります。
いまだに人間が言葉を使っているということは「言葉が大切なもの」だからです。
お互いに、言葉できちんと
ナミちゃん
ナミちゃん
「朝まで寝ないで心配していた。連絡もなく朝帰りされるのは悲しい」
「今日は仕事でとても嫌なことがあった。少しほうっておいてほしい」
マンボウくん
マンボウくん
そう伝えさえすれば、お互い気にやむこともなく分かり合えたはずです。
「理由を伝えてから要求を伝える」
       ⇓
「その上で相手の返答を待つ」
これが健全な人間関係です。
私は、信頼しているもの同士だからこそ「言語」というものが強さを増す。
と考えています。
信頼し合えていない場合、または相手が何か事情があって話せない場合、非言語(ノンバーバル)で相手を読み解くことは大切になってきます。
しかし「言語」「非言語」この両方をうまく使って相手にわかりやすく伝えることこそが、思いやりでもあるのです。
親しき仲にも礼儀あり。
この言葉の通り、家族だからとか夫婦だからとかで「言わなくてもわかるでしょ」は「察してほしい側のわがまま」でしかありません。
ナミちゃん
ナミちゃん
「言葉でちゃんと伝えられないのなら、態度にも出さないでほしい」
これが「察して」と言われた側の気持ちです。
小さなすれ違いは、のちに取り返しのつかない心の距離を作る。
大切な人だからこそ、素直に自分の気持ちを伝え「お互いに理解しあい絆を深める」ことが長く付き合っていくには欠かせないことです。
言い換えれば、大切な人の言葉だからこそ信頼し、素直に受け止められるので理解されやすい。
とも言えますね。
【問題が起きてもなんとなく放置していつの間にか忘れていた】

「事なかれ主義」と同じ状況なだけど、「放置してお互いなんとなく気まずい空気がなくなったからいいか」という思考。

これは一瞬解決したかのように見えているだけで、小さなほころびはいずれ大きな破れとなります。

 

【そもそも自分とすら向き合えてない人と一緒になった】

これはもう大問題なのだけど、相手が自分と向き合えていない人間だった場合、他人と向き合うことなんかできるわけがない。ということになってしまいます。

自分と向き合うとはなんなんだ。と疑問に思う方はこちらの記事を参照してみてください。

楽して考えることをしてこなかった人は、自分とも向き合えていません。

あなたとだから、向き合えないのではないのです。

自分とも向き合えない人が、人と向き合うことなんかできるわけがないのです。

向き合うことをずっとしてこなかったパートナーを向き合わせることがいかに難しいかがよく分かりますよね。

 

 

【どちらかが相手を裏切るような行為をした。または繰り返した】

これはDV、不倫、モラハラなど、そういった人格を否定するような行為をどちらかが行ってしまった場合、話し合いをする以前に関係を修復するための信頼作りが必要となります。

なぜ先に信頼関係の再構築が必要なのかというと、信頼していない相手に心を打ち明けることは不可能だからです。

心が離れている人に、本心を打ち明けてもらう方法はありません。

こちらに非があるのであれば、誠実に相手が向き合ってくれるまで素直に謝罪をし続け2度としないことを誓うこと。

一度失った信用を取り戻すのは、思っているより時間がかかります。

全てに共通することですが、意思の疎通が全くとれていないのです。

残念ながらうまくいかない夫婦の8割が話し合い不足によるすれ違い。

喧嘩したとしてもなんとなく次の日にお互い普通だったら、問題が解決していなくてもそのままにしてしまう。

家族といっても、他人です。

血が繋がっていようとも、お互いが意思を素直に伝えあわなければ破綻に向かうのは当然のことだと思いませんか?

なぜそんなに放置したのか。

・楽しい時間が長い方がいい。

・面倒なことはなるべくしたくない。

・深く物事を考えたことがない。

といった原因が挙げられるのですが

考えることと向き合うことをしない人間に明るい人間関係を構築するのは不可能。

例えば、相手が自分と向き合えなかった場合

こちら側が向き合い続けて成功するケースは、厳しいようですがごく稀です。

人間とはトカゲの脳のいわれる思考が備わっており、できる限り楽をして過ごしたいものなのです。

具体的に説明しますと、年中取っ替え引っ替え売れまくるダイエット本のタイトルには

「たった一週間で」とか

「楽して痩せる」とか

必ずといっていいほどイージーなフレーズがついていますよね?

しかし何事も楽して得られるものなんかこの世に一つだってありません。

楽して痩せられるんならこの世にモデル体型しかいないし、彼女たちが日々行なっているトレーニングに食事制限は並大抵ではない。

しかし嬉しいことに、私たちに変えられるのは自分と未来があります。

良い関係を保つために必要なこと

それはどんなに小さな問題もお互いに誠心誠意向き合って何時間かけてでも、お互いが納得するまで話し合うことです。

その際いくつか重要なことがあります。

・お酒を飲んでいないときに話す

・感情的になって声を荒げない

・素直な気持ちのみを言葉にする

・自分の気持ちをぶつけるだけでなく相手の気持ちもきちんと聞く

・お互いが譲れないときは中間点を見つけゆずり合う

以上が関係修復のために必要なプロセスなのですが、1つずつ考えていきましょう。

【お酒を飲んでいないときに話す】

まず大切な話し合いで飲酒は人として失礼ですし、感情のコントロールが難しいのでいいことがありません。

 

【感情的になって声を荒げない】

感情的にならないのもとても大切で、女性の方が感情論が多く順序や理論的ではない話し合いは、話し合いではありません。

あくまでも、話し合いというのは「自分の要求を通すため」ではなく「良い解決方法を探すため」のものです。

 

【素直な気持ちのみを言葉にする】

素直な気持ちのみを伝えるというのが重要です。

喧嘩がしたかったり、自分が優位に立って相手を支配するという圧力的な姿勢では何一つ解決しないどころか、関係は悪化するのです。

 

【自分の気持ちをぶつけるだけでなく相手の気持ちもきちんと聞く】

話し合いをするのだから抱えている気持ちがたっぷりあることと思いますが、それは相手も同じ。

大人として自分が話した分だけ、相手の気持ちも聞いてあげるというのもとても大切。

お互いの素直な気持ちがわからなければ、解決ができません。

 

【お互いが譲れないときは中間点を見つけゆずり合う】

最終的にその上で、お互いが納得できる中間点や理解を見つけ二人で決定するのが最終段階。

夫婦それぞれのルールや解決策があるから、何が正しいというのはここに書く事はできません。

これは家族関係でも友人関係でも職場でも同じこと。

話し合いをお互いにきちんと建設的にすることが出来たら、すれ違いをなくすことができますよね。

 

子どもにとって影響力のある親になるための方法(ココロを動かす)

先日、娘が学校から帰宅した時のことでした。

「ママ、学校はね鉛筆削りを持っていってはいけないの。でもね、私は意味がわからないから持っていったらね、先生が『だめですよ』って言ったから『どうしてだめなんですか?』って聞いたの。そしたらね『普通、鉛筆って家で削ってくるでしょ』って言われたんだ」

娘は、全く納得がいってない様子でした。

それもそうです。

「普通は〜」という言葉にはなんの根拠もないので、鉛筆削りを持って行ってはいけない理由になりません。

普通って何でしょうか?

普通=多数決(その人がずっと植え付けられてきた自分の意志ではない統計)

と私は定義する。多数決が大好きな国、日本。

しかし100人が正義だと言った事柄も、実は100人が間違っているかもしれませんよね。

子どもに「普通」という言葉をかけると、どういった事が起こるのかというと「個性」と「思考」を奪います。

普通が正しいものだと認識した結果、自分が違うと思っても普通という多くの意見に流されます。

普通が正しいと教えられた子どもは、考えることをやめてしまいます。

「普通が正しいなら、多くの人の意見に合わせとけばいいのでしょ?」って。

それにもかかわらず、大人たちはこう言うのです。

「自分で考え、自分の意見を持ち、発言しなさい」

この矛盾した2つの発言。

これを阻止するには、親がしっかりしなければなりません。

私は娘にこう言いました。

「普通なんていうのは多数決に過ぎないのだから、従うことはないのだけれど、それによってあなたが学校生活をしづらくなったら心配だから家で鉛筆を削ってはどうかな?」

娘は納得して、次の日から鉛筆は家で削るようになったのです。

例えば、学校で鉛筆削りがだめなルールの理由として考えられるのが「鉛筆削りが、万が一割れたりしたら怪我をしてしまう危険があるから」だとしたら納得もできます。

子どもだって、大人の矛盾に気がつくのです。

ぐしゃぐしゃ!って丸めて、めんどくさそうに答えた回答で心は動きません。

「ルールだから」も同じですが、子どもが知りたいのは「そのルールを守る理由」なのです。

ルールができたからには理由があるはずです。

わからないのであればぐしゃぐしゃ!ってしないで「あとでまた話すから待っていて」とかあると思います。

子どもに「自分で考え、行動でき、個性ある子」に育ってほしいのなら

「普通は〜」だとか「ルールだから」という言葉は個性も思考も奪っていると考え、ちゃんとした理由を伝えることが必要です。

これは、夫婦間や恋人間でも同じことが言えるのですが「普通はみんなもっとこうしてくれるのに」という発言。

「普通+みんな」というのは、全く納得のできない言葉。普通の定義がわからない上に、みんなって誰?

言われた方にしたら「知らんがな」って話になるわけで、じゃあその普通してくれる人と付き合ったらいいんじゃないの?ってことになるのです。

自分の気持ちを理解してくれようともしない上に「普通」という多数決ワードを持ち込むことは破局すら生みかねません。

大人だって、人と違う発言や発想をした時に「普通」を正義の言葉として返されたら悲しいですよね。

「普通」を使わないほうがココロが動く

普通が悪いと言っているのではなく、多数決によって決まった、何の理論もない普通というものが正しいという理屈は、個性を持っていればいるほどその人には通用しないのです。

理解を求めるのは大変なことかもしれませんが、論理的に説明できるということは自分自身も「それで本当にいいのか?」と今一度考えるいい機会になりますし、相手も納得できるものが生まれます。

もし論理的に意思を伝えられないのであれば

「普通は目を見て話してくれるでしょ?」普通という多数決で抑え込むような言葉ではなく

「私は目を見て話してほしい」という、相手と向き合い、理解を得られる言葉使いのほうが相手の心にはちゃんと響くものだと思います。

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